2018.5
2018/05/09     

大学の卒業旅行でスイスに行った時

その時は自分は大人だと思ってた笑けど、スイスの人たちには子供に見えて

街中に行けば行くほどなんとなく嫌な思いをしたのを覚えている。

今思えばごもっともだし、こんな子供が海外旅行だなんて良いご身分だったなって。

歩いて歩いて疲れ果てて、英語も使えないし(下手だから相手にされなかった)

どこかのカフェにも入れずに、、たまたま素晴らしい教会があって

重ーい重い扉を開けてみたら、天まで届くような美しい、本当に美しい

ステンドグラスがあった。椅子に座りしばらく放心したのを覚えている。

宗教は無いけれど、教会で疲れを癒やせたし

本当に美しいステンドグラスに心が洗われてキリスト教素晴らしいと思った。

日本に帰ってから知ったのだけど、そのステンドグラスは

子供の頃一番好きだったシャガールが作ったものだった。

それはすごくおどろいたし感動した。

23歳の今思えばなんにも知らない自分が

なんにも怖くなくてなんにも失わずに異国の場所で

疲れて休んだ場所で出会えたものは

シャガールの光だった。

それはものすごく財産で今でもあの降り注ぐ美しい光を覚えている。

子供っぽいまま見た目だけ老けて来ちゃって

もうすぐ40歳が近い。

なんかしたかな?と思うけど結構した。

でも何も出来てないとも思う。

何か残そうなんて大それた事も思わない。

その23歳当時はデジカメで、写真用紙にプリントしただけで

データで残っていない。

でも一つ一つが脳裏に残ってる。

一生懸命自分で見に行ったから?

ツェルマットの事も、一瞬だけ見えたマッターホルンも

ベルンの町並みも。。。

って、前置きが長いけどそろそろまた考えているけど

携帯がいらない。

テレビも悩んでいたけれど自分の生活から無くして

もう5年以上は経つ。

何かに繋がれる生活は嫌だ。

スマホで見る全てが何にも影響されないから

こんなに見ているのに、一冊の本の影響には敵わない。

いっつも見ちゃう自分も嫌だし。

もっと見るべきもの、もっと考えるべき事は他にある

そして自分で考えなければ衰える。

テレビと違って少し仕事の面で不便になる。というか迷惑かけてしまう。

それが大きな問題。

耳を澄ませばのお父さんのことば、「人と違う事をするからには道は険しいぞ」

いつもいつもそんな覚悟が必要で

流されないで全うして行きたい。

テレビで当たり前の事も何も知らなくても

蝶の羽化までの日数を知ってたり

そんなんで良いかなって思う。

なんにも持たずになにも知らなくても

目の前の美しいものを描けたら、

描きたいものをたくさん描けたらそれだけで良いと思う。