最近お弁当を作るのがはやっている。
自分はどこにも行かないのに、どこかへ行く人に
お弁当を作って持たせる、ということ。
お弁当作りは本当にめんどうだけど、一回始めると
錆び付いた機械に油差したみたく日々の食生活が
うまく回る。冷蔵庫もすごく整う。
副菜や小さな野菜のおかずのストックが常に
あるようになるから、夕飯も楽になる。
お弁当ってちょっとまた料理とはジャンルが
違う気がしていて、色んな思いを詰めたり
受け取ったりできるものなきがする。
自分の記憶に中学生の時
学校に行くのがしんどくてお弁当の時間が
怖かった事がある。だけどいつも母のお弁当は
おいしくて、開けるとおいしい香りがいっぱいになって
食べているときだけ大丈夫だった。という記憶がある。
そのしんどい時期は長くは続かなくて良かったけれど
母の食はいつでも自分を救っていてくれてた。
仕事で色々とあってもお弁当を開けるときだけ
ほっとしてほしいと思う。
それと泳げない母が今がんばって水泳を習っている。
今日のお昼に私は初めて母にお弁当を作ってあげた。
水泳の後に、ジムで私のお弁当を食べた母から
「おいしかったよ」のメールがきた。
いま、家に柊がある。
居ます。という感じです。
柊について考えた事も無かったのですが
今家にある一枝の柊が、本当に美しくて
清涼で、、すごく空気があるから
大好きになってしまいました。
名前もとても美しくて
木へんに冬!!
ペンで葉を描いたり、デッサンをしてみようと思います。
なんかきっと描いているうちに
学べる気がします。
描いた後は差し木して育てられたらいいなって
おもうのですがうまく行くかな。。。
美しくてかつて居た場所の歴史を感じます。
それをどうしても受け継ぎたいんです。
先日、日記を読んでくださる方からの
とても嬉しいメールをいただきました。
きれいな言葉のメッセージもらって
自分自身この先もこのまま素のまま日記を
続けて行こうと励みになりました。
感謝です。
うつくしいものってきれいだからばかりじゃなくて
心に響くものだったりして。。
時々出会うものの中に、”こころ”がある。
見えるわけでもなければ手で触れるものじゃないのに
感じる美しいこころがある。
うつくしいこころに出会うと触れてみたくなる。
自分の心に響くこころとは言葉では言い表せない。
だけどなんとなくわかる清らかで
美しすぎて深い森に隠れたように見えない
見えないところにまでしまわれた心。
きのう、海でのレースがありました。
今年3回目でした。順位もタイムもよくなくて
疲れもしなかった自分が悔しかったけど
スタートもヘッドアップも慣れた気がする。
やっと始まった気もする。
なのに落ちすぎた体重のせいで寒くて寒くて
体が動かない。。。
美しい海や夕日や色々なものや
励ましや心配や思いやり。。。
美しいものに囲まれてうれしい。
いつも心配してくれる家族に感謝。