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2015/04/07     

2ヶ月前、ある野望をたて笑、instagramのアカウントの写真を絵だけ残し

ほかのプライベート的なものは全部消去しました。

2年間5人くらいの親しい人たちとだけフォローし合って細々やっていたアカウントを

名前も変えて絵だけのものにしました。

ギャラリーページのようにしたのですが作品を載せてるというよりは、

ドローイングに絞ったページです。

自分の作品を実物より先にネット上で見せてしまうのは嫌いなのと

作品を毎回描いて載せるには時間がかかるから。

ドローイングならばかかって2日くらいで描けるので

インスタのように流れの速いSNSに持ってこいです。

しかも作品数ならたくさんあります。。。

と、Daily drawingと銘打って続けてたのですが

「いいね」の数は結構行くようになってきていたのですが

そんなにフォロワーは増えませんでした。

ところが先週の土曜の夜突然携帯の画面が狂ったように

動きだし。。。どうやらアーティストシェアリングアカウントに

シェアされたのです。それからというものそのたぐいに

regramしまくられ。。。今日に至りますが、そのアカウントは

無数にあり、アーティストを捜しているのです。

だからどっちが先に載せた載せないでコメント上で争ってたり。。。

昨晩はとうとう50万人近いアカウントにシェアーされて

パチンコのフィーバーみたくなってます。

この3日間で凄いことになっています。

なにはともあれたくさんの人に絵を見てもらえる手段としては

一番良いです。内輪だけに発信してもしかたないから、、と

思って始めたけど海外の方々ばかりで日本人が全然いなくて

むしろそこをどうにかしなきゃという感じです!

日本の方にも見てもらわないと、今後の活動を知ってもらう

きっかけになりません。。。

それにしても日本人はパーソナルな使い方の方が多いのか

アート系のアカウントでほんとにごくわずかしか見かけません。。。

見てても子供の漫画ばかりです。おしゃれアカウントや

おしゃれインテリアも個性無くみんな流行の同じ写真ばかり。。。

こんなにinstagram大きいのになぁ。。公式アカウントも少ない。

海外は凄い活発です。

後やはり、海外の人たちのアートへの情熱、賞賛の仕方、

良いと思ったものへの惜しみないサポート、

圧倒的に描いてる人口が多い!!

だからこそたまに驚くほどうまい人がいるのです。

なんじゃこれは!!!っていう。。。ほんとうに勉強になります。

ここでも負けてるなぁ!日本。と思っちゃうのは

すぐに感じられるのも凄いです。

晒すだけさらしてがんばります!

2015/04/01     

今日から4月1日です!あっという間ですね。。。

3月は季節の移り変わりを細かくチェックしてたつもりですが

見た目にわかる変化というのは一気で!目にも留まらぬ早さでした。

あんなに堅そうに見えてた庭のハナミズキの蕾は昨日くらいから

若葉色になり、開いてきているのです!!!なんという美しさ。

花壇はムスカリでぎっしりです。

毎年毎年思うこと、今年も思いました。

「桜って咲くんだ!あんなに寒かったのに春って来るんだなぁ」って。

昨日は一年に一回だけ母のお弁当を食べれる日でした。

二人で毎年三ツ池公園へお花見へ行っているので母がお弁当を作って

持ってきてくれるのが楽しみで楽しみで!!!

私はお茶だけ用意です。

母のタケノコご飯はかなりおいしくて桜とともに

思い出にのこる味でした。

母とは自分の幼少の頃の話をしながら、昨日は過ごしました。

保育園時代の絵の描きっぷりの話、白い紙をもらえるのが大好きだったこと

とにかく描くのが好きだったのと、見ないでものを描きたいという欲求が凄くありました。

母はスタイル画が描ける人なので、母にはいつも手の書き方を

教わっていました。今と同じで、どこへも行かず家で

絵を描くことを選んでいたのでなんにも変わってません。

instagramでシャチの絵を上げたところ好評だったのですが

保育園で水族館へ行ったあと、その思い出を絵に描きましょうと

いうのがあって、私は黒いクレヨンを一本使い切り、画面いっぱいに

シャチを描いて凄くほめられた時の話を母としました。

真っ黒でテクスチャーついたシャチを描いたのは異様だったようで。。。

小中高とも、図工や美術での自分のエピソードは結構あります笑

でも母は、私の絵が学校で評価を受けていたことがとても嬉しかったそうです。

高校2年の終わりに私が美大に行きたいと、母に車の中で何気なく初めて言ってみたのを

覚えています。恥ずかしくてなかなか言えなかったし、どう母に言われるかわからなくて

さりげなく言ったのです。

しかし母は、自分から美術の道に私が行くと言い出すのをずーーーっと

待っていたそうです。だから、次の日に速攻で横浜アトリエ美大受験予備校に

すぐに行ったのは良い思い出です。

自分で言うのもなんですが(でもだいたい美大に行く人ってそうですが)

学校で一番絵はうまくいつも掲示板に張られてましたが

高校生のときに母に打ち明けるまで美術の道に行くなんて

考えもしなかったし、言ったことも無かったのです。

でもふと、世界史の先生になりたいとかいろいろ夢はあったのに

現実的ではなくて、自分には何があるだろうか。と考えたときに

絵でした。

小学生のときに、テープレコーダーで再生された

物語を目を閉じて聞き、その耳だけで聞いた物語を

絵に描くという授業がとても好きでした。

目を閉じたときに見える景色、色が一層鮮やかで

その光景を描き出す。。。

そんなことが今も自分の毎日です。

2015/03/19     

今日は別の作業で絵自体描けないので

とても歯がゆく、描きたくてぞわぞわしている。

雨が降ってどんよりしている今日なんか描くのにぴったりなのに。。

また鳥の話ですが。。鳥に関する本だけで10冊以上は持っていて

仕事でもらう資料とは別に独自に持ってる図鑑や画集で調べます。

一日中鳥の本読んでても飽きません。。昆虫もそうです。

圧倒的にわかってないことが多いからです。想像しなきゃならないことも

多い。。。知らないことばかりなのは個体が小さく追えないのもあると思いますが

神秘という言葉では片付けられない、自然の摂理に乗っ取り生きている。

人間には計り知れない感覚を持っている。。。。

鳥にはたくさんの面白い習性があって思わず笑っちゃうものも

ありますし、涙が出そうな話もあります。。。

ただやはり、とても生きることに必死です。

今、何が鳥への思いを描いているかというと

ただ美しいとかだけでなく、その鳥の生態を知り、またどこで

どんな風に育ち生息するのか。。。そういう細かいことを知った上で

描きたいのです。その小ささや色の美しさの由来、

まとう風土の背景までも鳥は姿に現れている気がします。

まえはそんなこと気づきもしなかった!

美しい鳥はたくさんいて描きたくて困ります。

何にもならない行為なのかもしれないけど、ただただ家には

鳥のドローイング、スケッチがたまる一方です。

2015/03/18     

instagramで鳥のドローイングをたまにアップロードしている。

毎日のつもりが、空いたときに描くので精一杯だけど

今それが凄く良い時間になっている。

鳥というモチーフは、作家活動と同時に描いている。

鳥というよりは、始まりはサモトラケのニケを描いていた。

ニケへのあこがれが顔の無い翼だけが登場する絵をよく描いた。

ニケのことをここで書くには難しいけど

絵を志した頃、予備校の大石膏室でみたレプリカのニケは

十分に素晴らしかった。その時の光の差し込み方や

空気感を今でも覚えている。

ニケのことを思うと気が遠くなるし今でも

いろいろなことが巡る。

自然に鳥を描くことでまた新しい絵への気持ちか高まっている。

作家活動をする前に目指していたものを思い出し

今またそれに向けて準備をしている。

そのためにはたくさん描かなきゃならないので

またがんばります。

2015/02/26     

今日も一日中作業机(作る神が宿っている。)とともに

過ごしました。ライトボックスのスイッチのon、offをぱちぱち

繰り返し、デスクライトをつけたり消したり。。。

一日で24カット描きました。簡単なイラストですが

簡単な!って一番簡単じゃない。といつも思います。

結局できたのは深夜になりました。

たまった他の仕事が泣いてます。。。

あさってから気合い入れてそっちに取りかからないと

本当にもう間に合わない!!

でも明日は友人と温泉です!やった〜

2015/02/24     

不思議でたまらないのだけど最近、

絵を描くことが好きで好きで楽しくてやめられません。

落書きでもなんでもいいのですが描きたいがために

全ての用を終わらせ、たとえ深夜でも描きます。

特に壮大な作品制作してるわけでもないのですが

描きたい。描いていたい。という気持ちでいっぱいです。

どうしたんだろう、自分。というくらいです。

こないだまでの絵への気持ちとは違い

ただただ単に描きたいのです。

それに描く度に絵は難しい。と思って笑えます。

その後にくる深い集中がタッチを重ねる度に入って行く感じが

とても面白くてやめられません。

いやいや、どんだけ今まで絵を描いてきたんだ。と思うけど

こんなに絵が楽しいなんて知らなかったよ!!と

大声で叫びたい!くらいです。笑!

2015/02/12     drawing

相変わらずものつくりの神が宿った机とともに

いろいろ描いたり作ったりしている日々ですが

その中で、急にデッサンというものに立ち返り始めました。

デッサンは絵を描き始めるときに必ず無意識にもやってることで

絵が始まるまでにスケッチから下絵から実際描くまでには

自分は4〜5回くらい清書を繰り返します。

その中でいる線、いらない線を選択したりします。

それもデッサンですが、自分のデッサンってものが

何となくあってその範囲を超えての表現はなかなか出来ないというか

いつまでたってもすごく大事な作業です。

描いてるものがあったとして、

そのものをうまく描こうとして線で輪郭をなぞったり

形を取りますがそれをしてるといつまでもそのものは描けて無くて

結局何を描いてるかというと印刷物のように

写真のようなものになるので、それでも十分写実にかけるならば

うまく見えるだろうしデッサンとして、形をとらえる力で言うと

良いのかもしれないのですが

自分がこれから獲たいデッサンとはやっぱり

描こうとしているそのものの向こう側が描きたいのです。

空間とはまたちょっとちがくて、言葉で言い表しにくいですが、、

なんならものの形なんかとれてなくてもいいわけで、、、

をを!これは、というデッサンとは

そのものがまとってる空気みたいなものも書き出せています。

もしかしたら鉛筆ではもう無理だと言う気もします。

だからなんだというと、そのものの向こう側を描けるようになって

作品でも、向こう側が表現できるようになれればなと。

思っています。

それには伝えてゆく作業も大事だと思っています、

あぁ、この絵にはあっち側もあるんだと気づいてもらえる

ような絵が描きたいのです。

とりあえず、、机とともに溜め込んだ仕事をぎりぎりまで

やってないので今日からはこの机仕事三昧です。

でも、仕事の中にもデッサンに近いものがあるので

一皮剥きたいです。それに入魂したいです。

2015/02/06     small desk

こないだふと気づいたことあって、、

その日も朝からずーーーっと描きっぱなしで疲れて

気づけば夫が帰ってきて我にかえる。というのがここ最近のパターンで

いつものように夕飯を出したあと、さてさて!と机に向かおうとして。。

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なぜかこの机の前にいつも吸い寄せられるのです。

この小さな机、新年早々に行った骨董市で即決したもの。

本当は夫が買ってしまった小引き出しが欲しかったにも関わらず

家まで持って帰るの困難なのにも関わらず

なぜかとても必要な気がしてこの机を買って帰りました。

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当初、彫刻専用の机にして、彫刻する時は

机ごと持ち歩いて行けば引き出しにはのみやら彫刻刀やらが

入ってる。という用途でした。今でもそうなのですが。。

この机がきて以来、もの作りが激しくて

一日中何か描いたり彫ったり描いたりして

気づけばエスキースや描いたもので箱はいっぱいになりました。

この机があると自然となんか描いていてあれもこれも!

勝手に一人で忙しいのです。

そこで、ふと気づいたのはこの机には

もの作りの神様が宿っているのかもしれない!と。。

もしくは前に使っていた人が創作する人か。。。

この机がきてからというもの、本当にここで

毎日なんかやっているのです。

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とにかく私の相棒と言うか

この机に吸い寄せられては何かを作っています。

しかも一日中ずっと。

何だろう、この創作意欲は!と、不思議になります。

誰にも頼まれてないことを最近はやっていなかったのに

仕事としての制作しか取り組んでなかったけれど

この机は一人遊びに没頭させてくれて

ずっとずっと前に絵を描いてた時と同じ

純粋に描く喜びにあふれかえっています。

仕事だろうが落書きだろうが関係なく

何でも良いんだから、とにかく描きたいんだから。と

この机にむかっています!

ものつくりの神が宿った素敵な机に新年早々出会えて

ほんとうにうれしい。

とってもとっても素敵な机です。

2015/01/15     

雨音聞きながら、作業がはかどります。

最近は作ることで頭がいっぱいですが

結局やれることは限られている、のを知るけれど

そこを飛び越えてやらなければ行けない時がある。

絵にいつも背中を押されたり、俯瞰で待たれている気がする

表現したいことをストレートに出すことが一番

困難なんだけどそれが出来ちゃえばすっきりする。

自分との対話ばかりです。

いつも最近考えていること。ずっと考えることとは

いまおかれる自分が当たり前だと思わないこと

周りが当たり前ではないということ。

大きく言ってしまえば人間だということが当たり前ではないということ

この視点が全てではない。

今見えているもののすべてがものの見方ではない。

寝食が出来ること、絵が描けること、音楽が聴けること

歩けること、生きていることが絶対に当たり前でないということ

自分の中の”美しい”が届かないことが必ずあるということ

この雨の中、濡れている羽を木陰でジッと乾かす鳥の視点

コンクリートの奥でずっと昔に埋まった土の冷たさ

旅行で拾った貝殻が、あたたかい海を離れ

部屋の片隅で埃をかぶること。

自分が全てじゃないといつも思うようになった。

この世界は人間、五体満足の人のためだけにしか

できてない。その他にどんなにたくさんの生命があったとしても

人が中心でそれに気づく度にうんざりする。

もしも目が見えなかったら、歩けなかったら、

家族が居なかったら、人間ではなかったら、

ひっそりと隠れてなければ行けないのか?

堂々と生きられないのか?

今見えてる光景や状況が全てではないから

時には自分以外の視点にならなければと思う。

2015/01/12     

20150111

初詣はすませてありましたが今年は新年の祈祷を

してもらわなかったので神棚にお札がないままでした。

なのでお札を買いにに行きました。

この6年、毎年元日に厄よけしてもらってました。

というのも厄年がずっと続いていたからです!!

いろいろと、ほんといろいろとあった6年間。。。

厄年なんて気にしないって言う人もたまにいますが

自分にとっては試練に近い感じでした。

厄年ではいろんなことを見直す機会にもなったし

大切なものが見極められた気がします。だから無駄な

日々ではなかった。とも言えます。

昨日は神主さんにも厄年ではないことを確認し、

心も晴れやかになりさっぱりして

まだ新年明けて10日そこらですが

すごくいい感じがしています。

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